中途半端の信仰は宗教となる!

ハレルヤ☆

皆さまおはようございます(^^)

今日はお休みです。

昨日は月曜日に父の入院先の病院から、インフルエンザの解除がなされたという電話があり、仕事帰りに父の所に寄ってから、ボウリングの定例会に参加しました。

父はよく眠っていましたが、再会の恵みと祝福とを祈って病院を後にしました。

ボウリングでは、今回は、テニスに来てくださっている仲間と教会からは福島兄が参加してくださり感謝でした(^^)

また、参加されたすべての皆さんにも感謝でした(^^)

二次会もとても楽しい交わりとなりましたね(^^)

また、宜しくお願いします(^^)

なお、ボウリングの結果ですが、年に一度出るか出ないかの200が出まして、優勝させていただきました。

主に感謝です(^^)

主の御手が働いてくださったのだと思います(^^)

さて、今日もミッションが多くありますが、まずは御言葉から御声を聴いて行きます。

■ディボーション・第1サムエル15章12節〜23節

■御言葉22節〜23節

●するとサムエルは言った。

「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。

見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。(22節)

●まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(23節)

■背景

この章では、主が選びお立てになられたサウル王が、決定的な罪を犯し、主は残念に思い、王の座を退けるシーンが書かれています。

その様子を書きますと、

サムエルが、サウルに、「敵であるアマレク人を一人残らず滅ぼせ、また、家畜もすべてだ!」という主の命令を告げました。

しかし、彼は、アマレク人はその通りにするも、「王であるアガクと家畜は残すという中途半端な聴き従い」を行いました。

これを持って、当のサウルは自分の記念碑を建てる始末でした。

■宗教でなく、信仰を!

彼がこうして悦に入っているところに、

サムエルがやって来て、このことを指摘されると、彼は「国民が家畜を惜しんだ」と、国民にせいにしてます。

サウルは前に、ヨナタンの功績を自分の手柄として国民に伝えたり、今度は、責任ある立場としての落ち度を指摘されると、国民のせいにしたりと、罪を犯す典型に見事にハマっています。

これに対して、サムエルは次のように指摘しました。

●「あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。(同17節)

国王として最高の責任ある立場として、民を正しく引っ張って行く時に、大切なのは自分を生かそうとせず、自分の思いを捨て主を恐れること!

こうして、

聴き従って行く信仰者にならないことには、到底務まりません。

しかし、

サウルは自分がいかに生きるかという思いが強く、信仰でなく、宗教をやって自分に権威着けし、理屈を上手に着けて主に従っているように見せていました。

ただ、これはサウル自身は何が罪なのか分からないというわけで…

●主との人格の交わりなくして罪は分からないのです。

■御心を心に留めて

御言葉にもありますように、中途半端は聴き従いは占いの罪であり、偶像礼拝の罪であることだと言います。

●わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。(黙示録3章15節)

と言われる主の基準に近づけるように、日々主との関係を築き従って行く者になろう。

サウルは罪の自覚に希薄でしたが、

今の私たちには、罪が分からない私たちに対して、十字架上で、執り成し祈ってくださったイエス様が、復活を持って共におられるのですから(^^)

また、主の御霊は離れることは決してないのですから(^^)

では、今日はこの辺で(^o^)/

今日も皆さんの上に主イエス・キリストにある平安と恵みのシャワーが降り注ぎますように☆